新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、「医療崩壊」という言葉がメディアに登場することが増えてきました。しかし、巷に溢れる「医療崩壊」は、発言者各々の主観にすぎません。いわば、「言葉の一人歩き」です。「医療崩壊」の実態が曖昧模糊であるため、その響きが国民に不安を煽っています。
そこで、我々全国医師連盟が、「医療崩壊」の定義を述べます。
医療崩壊 = 「日常の提供体制」を前提とした医療需給バランスの崩壊
昨今、新型コロナウイルス感染症の入院待機患者が発生し、そして、その数が増加しています。この状態は「医療崩壊」ではありません。新型コロナウイルス感染症対策の不備にすぎません。「医療崩壊」とは、日常において、本来受けられる医療を提供できなくなる状態である、と我々は考えます。
我が国には、2種類の医療提供機関があります。「診療所」と「病院」です。
多くの診療所は、開業医が一人で診療を担当している「一人院長」体制です。院長の体調が不良であれば、「休診」となることは当然です。そして、多くの外来診療は出来高制度なので、診療した患者数に応じた収入しかありません。
報道ですでにご存じの方も多いと思いますが、新型コロナウィルス感染症の疑いのある患者を含めた発熱患者の診療(発熱外来)は、一般診療に比べて多くの時間と費用を要します。加えて、全ての開業医が感染症の専門医ではありません。多くの開業医は元勤務医であり、勤務医の時にはそれぞれの専門領域の診療を担当していました。今回のような感染症に対するトレーニングを十分に積んでいた開業医は稀です。
新型コロナウイルス感染症が蔓延した現在、発熱外来等を担っている診療所への受診を、周辺住民が避ける傾向にあります。診療所は我が国に約10万件あります。代替する診療所が十分にある地域では、外来診療に関する「医療崩壊」が、今現在は起きてはいません。しかし、代替する診療所の無い地域では、あるいは発熱患者の診療を断る診療所が複数ある地域では、日常の提供体制を前提とした医療需給バランスの崩壊、すなわち、医療崩壊はすでに起きています。
では、病院はどうでしょうか?
近年の病院は、「急性期手術」「癌治療」「重症化した慢性期疾患」などの非感染症を診療体制の中軸に据えています。一方、我が国では感染症を専門とした病院が極めて稀で、全国で2000床を下回ります。新型コロナウイルス感染症をはじめとした2類感染症を診療できる施設は、ほとんどありません。そのため、政府が一般病床での感染症治療を「特別に許可」し、各病院はそれぞれ対応しているのが現状です。現在、新型コロナウイルス感染症に対応している病院の多くは、「専門領域ではないが、必要に迫られたから勉強しながら頑張っている」状況です。「新型コロナウイルス対応病床だが、専門の医療スタッフがいるわけではない」という苦境を理解しなければなりません。
診療所も、病院も、現在は「当たり前の状況」ではありません。「緊急時の特別処置をしている状況」であることを、理解することが大事です。
多くのメディアは、医療資源不足(人材不足、資金不足、器材不足、時間不足)を「医療崩壊」と表現しています。しかし、医療資源不足は平時からの問題であり、非常時である現在、解決できる問題ではありません。特に、医療資源の中で最も重要な「人材」が絶対的に不足している現状を、早急に解決できる方策はありません。絶対的人材不足であることを踏まえた上で、「緊急体制への医療資源の移行・構築」が、現在の早急に解決すべき問題です。何が課題で、どのように解決すべきであるかを緻密に勘案し、やるべきことを明確にすることが、今成すべきことです。これを疎かにしていた結果、入院待機者が増加し、社会問題と化しています。
平 時:現医療体制
非常時:現医療体制から緊急体制への医療資源の移行・構築
現在の「医療崩壊」に関する報道は、「平時」と「非常時」を混同しています。「医療崩壊」というセンセーショナルな表現で問題の本質を曖昧にし、不安を煽っているだけです。非常時の対策不足を「医療崩壊」と連呼すれば、的外れでヒステリックな対応策ばかりが計画されます。我々医療従事者は、それを危惧しています。
今だからこそ、「医療崩壊」とは「日常の提供体制を前提とした医療需給バランスの崩壊」であると定義し、現状は 「緊急体制への医療資源の移行・構築」の失敗であると表現すべきです。平時の医療提供体制から「医療資源の移行・構築」を進めることで、現在の問題を明確にすることができます。
これまで、我が国は「医療崩壊」を先延ばししてきました。本来業務である手術、救急受入、入院加療などの医療提供体制を、長時間労働をはじめとした勤務医の過重労働などを前提に維持させ、そして、「医療崩壊ではない」と何とか偽装していました。しかし、今回の新型コロナウイルス感染症は、そんな平時の偽装医療提供体制を瞬く間に崩しました。
最前線の現場で多くの医療従事者がこの1年間頑張り、医療提供体制を何とか維持させてきましたが、すでに消耗戦に突入しています。一人二人と同僚が心身に変調をきたし始めています。善意の過重労働で支えていた平時に加え、不慣れな緊急時の医療を同じ人員体制で維持し続けることは、もはや限界です。
「医療崩壊」の影響で最も深刻なことは、連鎖反応的に一斉崩壊することです。絶対的資源不足の中でギリギリの対応をしていた医療機関の均衡が崩れ、これまで孕んでいた様々な問題が堰を切って噴出することもあるでしょう。
新型コロナウィルス感染症は全国民の日常生活も一変させました。医療も「with コロナ」という「新しい平時の提供体制」に変えることが必要です。限られた医療資源(人材・器材・資金・時間)を、平時においてはどう分配をするのか? 非常時にはどう分配するのか? 医療制度では、「平時」と「非常時」を並立させた設計が不可欠です。まだまだ流動的な状況であっても、医療従事者の犠牲(生命、時間、所得)を前提としたこれまでの仕組みを踏襲する制度は、もはや無理です。一人の勤務医が、一人の医療従事者が、どの程度の医療を提供することが可能であるのかを適切に把握し、地域が求める医療需要に合致するのかを改めて明示する必要があります。「新しい平時の提供体制」を構築するにあたり、新型コロナウイルス感染症以外の日常診療が基礎であることは当然です。その上で、非常時に余裕を持って提供できる人員配置、すなわち、十分な休養を確保した交代性勤務制度を基に、提供可能な医療供給制度を非常時においても構築すべきです。新しい医療提供体制には、平時にも、非常時にも、「持続可能性(sustainability)」を盛り込まなければなりません。
最後にもう一度述べます。非常時の医療提供体制が機能するためには、「日常の提供体制を前提とした医療需給バランスの崩壊」を防ぐことが第一であり、「持続可能性(sustainability)」を盛り込んだ考え方が不可欠です。我々のこの提言を、「with コロナ」時代の医療提供体制には取り入れるべきです。
こちら、m3医療維新に2021/01/18に掲載された文章になります